プロローグ
1ヶ月ぶりのスタッフ2号です(−o−)y−
大腸内視鏡の結果、できものが見つかってしまって
現在、結果待ちの状況ですヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ
このファームに来て、2年が過ぎました(_´Д`)ノ~~オツカレー
いつの間にやら、このファームの古株ですΣ(`Д´ )マヂデスカ!?
他のスタッフに比べるとダラダラと長いブログになっておりますが
じつは、15年ほど前にも、こういう書き物を書いており
多分、そのときから、とりとめもないことをダラダラと書いてしまう
スタイルが出来上がってしまったのでしょう_」 ̄乙(、ン、)_
当時は、子供が生まれた報告のため、親バカ全快で(´ε` )チュッ
毎月、知り合いにメールで送りつけていました∩(・∀・)∩タカイタカーイ
でも、その後、月刊から季刊へと頻度は下がっていったのですが
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
ブログなんてものも一般的ではなくて
写真付きの1Mbくらいのワードを送りつけて
ダウンロードに30分もかかるとか言われてました( TДT)ゴメンヨー
で、子供が生まれて、1年ちょっとしたときに父がなくなり
気持ち的にも、なんとなく書く気分になれず( ̄へ ̄)ウーム
途中までは書いたのですが、未完成のまま、突然、休刊としたのです・・・
当時から、だいぶ気持ちも落ち着いたので、今回はいつもの作業日誌を休んで
(いつも作業日誌の内容のほうが少ないですが・・・ハハハー)
15年ほど前から、このファームに来るまでのことを書くことにします( `・∀・´)ノヨロシク
父が亡くなったとき、私は31歳でした。
当時、私は農業集落排水施設を管理するための機械を作って、売って、メンテして
という仕事をしていました。
ウルグアイラウンド対策費という名目で
農家の生活環境改善のため
公共設備が拡充されている時期で非常に忙しかったです。
そんなこともあって、結婚以降は、月1回、孫の顔を見せに実家へ帰るくらいで
そのときも、電車で1時間半くらいかかるところまで帰っていたので
飲み明かしたことなんていうのも、ほとんどなくて、今思うと非常に残念だなと思います。
では、誰と飲んでいたのかというと、このファームの社長です(´∇`)ケッサク
社長とは、もう20年弱くらいのつきあいです( ´З`)=3 ゲップ
父が亡くなって、それまで勢いだけで乗り切っていた人生から
なんとなく考え込む人生がスタートしたと思います。
よくも悪くも大人の階段を登り始めたのでしょう。
(すみません、人生、ひとよりもゆっくりで)
人生の挫折としては、大学浪人してしまってから数えて2回目でしょうか。
私にとっては、正直、異常事態でしたが
すでに子持ちの身でもありましたので
嫁はんにもチビスケにも「お父ちゃん」としての
背中を見せねばならず必死でした。
しかしながら、なかなか仕事も上手くいかなくなり
短絡的に転職しようとも思っていたのですが(挫折3回目)
当時の先輩の後押しで、ある組織に出向しました。
そこは、行政の人とか、他の会社の人とかが一杯いるところで
私のような世間知らずはエライ目に合いました。
(でも、なんとか挫折は回避)
まあ、どうにかこうにか任期を全うし
会社へ戻ることとなったのですが
嫁はんのお母さんの調子が悪くなったので
嫁はんの実家の近くに帰ることにしました。
そのとき、ちょうど、ファームの社長も同じところで働いていたのですが
社長にとっても、非常にツライ時期だったようで
会っても目がショボショボで(´Д⊂グスン
昔、いっしょに悪いことΨ(`∀´)Ψケケケ
をしてたような雰囲気は全然なかったです。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ ゴラァ!!
私のほうも仕事がフィットせずフラフラしてたのですが
10年ぶりくらいでモノ作りの仕事に就くことになりましたΣ(゚Д゚;)ギクッ
計画性もなく、いつもアドリブで乗り切っていた私にとって
ちゃんとしたモノ作りは困難を極めましたが(挫折4回目)
その仕事をしている最後の半年は
すごく優しい上司に恵まれ、なんとか働いているという状況でした。
その後、突然、別の仕事に就くことになってホっとしたのも束の間
その仕事は、私のような
?英語わからない
?常識ない
?人間関係に難アリ
という人間には、かなり辛く、何度も最悪の選択が頭をよぎる毎日でした(挫折5回目 MAX)
そのとき、ファームの社長に泣きついたのですが
逆に叱られました。・゚・(ノД`)ヽ(゚Д゚ )ナクナ ゴラァ!!
何とか、最悪の選択を回避できたのは
挫折4回目のモノ作りの仕事をしているときに
ある先輩に私の前世について教えてもらい
(私の前世については、また後日)
そのときの教えを守ったおかげです。
ありがとう、佐藤さん(仮名)
で、社長に叱られた私は、何をしたかというと
英語を勉強することにしました。
今の世の中、英語ができないと職種が限定されるので
やりたい仕事も選べないと思い
大嫌いな英語の勉強を始めました。
残念ながら今も人に言えるほどの英語力はないですが
神様は見ているのです。
古くからの知り合いである
このファームの社長が職員募集をしたのです。
しかも応募資格に英語なし!!
全然、農業のことも知らなかったのですが
多分、これが這い上がる最後のチャンスと思って応募し
何とか拾ってもらいました
キタ━(゚∀゚)━┥東│東│東│ │ │ │発│発│発│中│中│中│北┝┥北┝━(゚∀゚)━!!!!
↑最近、一番お気に入りの顔文字です
もちろん、今も壁にぶつかってばかりですが
何とか、ダラダラ文章が書ける程度には回復してきましたヾ(*´∀`*)ノキャッキャ
完全復活まで、あともうちょっと・・・
父が亡くなってからの長いトンネルから
やっと抜けた感じです。
私にとって、父が亡くなったときの感情は
まさに「父を亡くした息子の心境」という
言葉以外に表しきれないくらいの衝撃でした。
まだ、お父ちゃんが健在のフォロワーの方に
わずかばかりの人生の先輩として一言(二言、三言・・・)
どんなにがんばったって、親の恩を返せるほどの孝行はできません。
まあ、時間があれば、酒を飲むなり、釣りに行くなり
可能であれば、一緒にキャベツ作ったりして
時間を共有してください。
お父ちゃんにとっても。
貴方にとっても。
そんなわけで(どんなわけやヾ(゚Д゚ ))
今回のブログも終わりです。
今回は、少しだけ私と社長の関係を紹介した
プロローグ版です。
次回から、作業日誌1割と「私と社長」9割で
お送りします。